4月25~26日、「福島原発震災情報連絡センター」の総会&現地視察。
私はこのセンターの事務局長なのに、いまだソラで正式名称を言えない。
以後「震災センター」と省略。
「原発事故・子ども被災者支援法」の肉付け・予算化など、日ごろから
活発な活動を続けている全国の仲間たち約140人のうち、
この日いわき市に集まったのは、
大分県、岡山市、新潟市、静岡市、東京、千葉そして地元福島県いわき市、
顧問の上原公子元国立市長を入れて、総勢25人。
【4月25日】
いわきゆったり館でまずは第3回総会。
何しろ前日までバッタバタの準備だったので、あちこち不備が…
松谷代表が静岡市議選を終えたばかりということもあり、
総会の場で「事務局内の連絡不徹底」が露呈!
しかし、専従職員がいるわけでもなし、全員が忙しい議員。
「できないことをどうーの、こーの言うのではなく、全員が関わる気でやりましょうよ」
と、啖呵を切ってくれたのがこの方↓

頼もしき顧問の上原公子さん! 頼りにしてまっせ。
とはいえ、いろいろ出された課題をこれから事務局会議で討議
していかなくてはならないのは勿論である。はい。
総会が無事終了して、ホッと安堵の全員集合写真。
撮影は野村羊子(三鷹市議)さん。ありがとう。
県ネット作成の垂れ幕が効いてますなぁ。

このあと、いわき市職員による「除染計画」などの現状説明があった。
特に「町外コミュニティ」の話は衝撃的だった。
町外コミュニティとは、放射線量の高い双葉町、浪江町、大熊町
富岡町の住民が、ふるさとに戻るまで町の外に作る「拠点」のこと。
いわき市には、これら4町以外の市町村も含め、現在
23901人もの避難者を受け入れている。
通常の人口が33万人ちょっとだから、ものすごい人口増となっている。
受け入れ自治体の中でも群を抜く数だ。
国のほうからは、平成12年の三宅島噴火による全島民避難の事例を
踏まえて対応するようにと言われたそうだが、ちょっと待て。
三宅島の避難民の数は3800人。
受け入れ先の東京は日本の首都、人口1000万人以上の大都会、お金持ち。
火山の噴火が収まれば帰れるし、事実5年間の避難で済んだ。
片や、福島原発事故の被災者。
周辺市町村からの避難民の数は約24000人。
受け入れ先のいわき市は、人口33万人の地方中核都市。
財政もそんなに豊かではない。
一番問題なのは、5年経ってもふるさとへ帰還できるかどうか。
いつ戻れるか、全く先の見通しがつかない中、避難者は疲れ果て、
受け入れ自治体は翻弄される。
復興交付金はまともな使われ方をしているのか、責任者、出てこーい!
このあと、前福島県知事の佐藤栄佐久さんの講演。

「知事抹殺 ~脱原発に向けて~」
佐藤さんを抹殺した原発マフィアの存在が浮き彫りにされた。
素顔はニコニコととても穏やかな方だった。
【4月26日】
午前8時にマイクロバスで出発。
北上して、3月25日に立ち入り禁止が解除された富岡町をめざす。
途中、道路のわきにズラ―と並ぶ黒いフレコンパック。
除染された土壌を保管しているという。

まさに、
賽ノ河原の石積みではないか!しかも、帰宅してからこの写真をじっくり見たら、左のほうで数人の作業員が
フレコンパックに張り付いているではないか!!まだ若い人たちだろうか? 二次汚染が心配でならない。
こんな注意看板も…

野良牛が多いそうだ。悲しいなぁ。
バスの中では数人が測定器で放射線量を計測。
北上するにつれ、数値がどんどん上がっていく…
富岡町に入り、広野駅でトイレ休憩。
使われなくなった駅舎、
電車も時間も止まったままの風景。

この地点で、地上50センチの数値は
0.736μシーベルトバスは富岡町の中心商店街に入った。

人っ子一人いないこの風景を、「ゴーストタウン」と称して
マスコミからたたかれ追われた大臣がいた。
しかし、この風景はまさしく「ゴーストタウン」そのものではないか。
たたく相手は、こんな風にしてしまった国と東電でしょ!
商店街を抜けると、桜並木で有名な「夜の森」地区へ。
延々と続く桜並木は今は葉桜。ひっそりと葉が風に揺れている。
よく見ると、地上2メートルまで樹皮がはがされている。
桜の季節、花見のために帰還が許された住民のために除染したのだ。
可哀そうな桜たち。
木周辺の土も除染したそうだが、
このとき、バスの中の測定器の数値は、なんと、
2μシーベルトを超えた!
外に出たら、たぶん4μシーベルトはあるということだ。
除染してもこの数値。
「帰還計画」がいかに困難か、身にしみて分かった。
そして、

これ以上は入っていけないバリケードまで行き、
バスはUターン。
この柵の向こう側に家がある住民たちの想いを考えると
胸が張り裂けそうになった。
帰るべき家がない…
次に向かったのが復興商店街「浜風商店街」。
ここ久ノ浜地区は、地震、津波、火事、放射能被害の4重苦に襲われた。
壊滅的打撃を受けた地元商店街だが、店を再開してほしい」という
地元住民の熱いエールを受け、今元気に再起の道を歩んでいる。

一角には写真資料館がある。
被災した方が当時の生々しい様子を伝える。

久ノ浜町では死者50人、行方不明13人を出している。
やっぱり元気なのは女性たち。
無料で来客にふるまうコーヒーと、美味しい田楽を前に
笑顔がまぶしい。「また来てね」とにぎやかに見送られた。
さて、次に向かったのが
みんぷく。
被災者や避難者への試験活動を、民間力を活かして、行政とつなげながら
きめ細かな事業を展開している。
説明役は「みんぷく」の発起人、赤池さん。
自称おまつり男の赤池さんだからこそ、ここまで活動を広げられたのだろう。
防災となる松林の大切さや、お年寄りの見守りなど、多岐にわたるお話。
いざというときのお役立ちグッズは?
これです。

普通の懐中電灯より、ランタンがはるかに良いとのこと。
あと、ヘッドライトや手のひらサイズのパーソナル懐中電灯もお薦め。
それから、ゴーグルやヘルメットも目や頭部を守るために必要。
ポリタンクよりも、普通のバケツに水の入ったビニール袋を詰めたほうがよい。
食べ物の備蓄も、保存食品として賞味期限ギリギリまで保管するより、
食べては補充する「回転備蓄」がおすすめ。
「私は好物の缶詰を備蓄食品と決めているんですが、ときどき酒の肴に
食べてしまうんですよ。すぐ家内に買ってこさせて補充します」
すかさず、声があがった。
「自分で買いに行けばいいでしょ!」
パチパチパチ。
最後の視察は
市民測定室たらちね。
食品の放射能検査、ホールボディカウンター測定、そして甲状腺検査まで
ボランティアのお医者さんの協力を得ながら活動している。
財源は支援団体の寄付金。
復興交付金やーーい! あなたはどこへ行ったの???
説明してくださった鈴木さんをはじめ、スタッフはまだ若い女性たち。

命と健康にかかわることなので、食品測定は1回500円。
甲状腺検査は無料。
本物のボランティア精神にあふれた活動を続けている。
この日、
1000ベクレルを記録した野菜が!!!
この方↓

コシアブラという山菜で、おひたしや天ぷらにすると美味だとか。
甲状腺がんの検査機↓

1日80人~100人検査するそうだ。
今のところ結節は発見されていないということ。
しかし、子どもの成長が早い分、異変への移行も早い。
福島県は甲状腺検査を2年に一度などとけしからんことを言っているが、
やはり、半年に1度の検査が必要ではないかと、質問したところ、
「確かにそうです。半年か1年に1度はやらないとだめですね」
「たらちね」は写真ジャーナリストの広河隆一さんと協力して、
子どもたちの保養活動もすすめている。
鈴木さんは締めくくりにこう言った。
「保養に行きたくとも、学校を欠席しなければならず、渋る親が多い。
せめて、2週間でも、安心して学校を休める制度を作ってほしい。
また、親たちへの保養休暇も補償してほしい」
こうした制度改革は私たち議員の務めだ。
最前線でがんばっている「たらちね」など、今回の視察では多くの人々の
がんばりを見てきた。
除染してもしても、人が住めるまでには何十年もかかる。
今の「目先」しか見ない国や県の施策に対し、もっと視野を広げ、
射程距離を伸ばし、お金の使い方を根本から問い直すよう
訴え続けていかなければならない。
それはともかく、
最後に寄った土産物センターで、おいしいもの発見。

貝焼き。
ウニを貝殻にテンコ盛りして蒸していただくのだが、
これが超絶美味。
重い課題をまたもや背負ってしまったなぁ、と心の片隅で感じながら、
それでも、今晩の酒の肴はこれだな、と
一人笑みがこぼれる帰りのスーパーひたちだった。
- 2013/04/27(土) 16:34:04|
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